私について 生い立ちや経歴など

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はじめまして。

1歳になったばかりの子どものママで、働きながら家事育児に追われるtabi-mamaです。

ブログを書いていくにあたり、私の生い立ちや経歴なんかをご紹介しようと思います。

私の幼少期から大学まで

関西で生まれ、小2まで過ごす。

人見知りで大人しい内気な子どもだった。人形遊びやお絵描きが好き。

やっていた習い事は水泳、ピアノ、お習字。どれも全く身についていないが、水泳は溺れない程度には泳げるし、体育の授業では役だったかも。

小3のとき、父の転勤で台湾に引っ越す。日本人学校に通ったので中国語は少し習った程度だが、海外生活が幼い私にたくさんの刺激を与えてくれたことは確かだ。

台湾に丸4年住んだ後、中1の夏に帰国。やっと日本のテレビがリアルタイムで見られると喜ぶ。

関西で半年過ごした後、親の転勤で関東に引っ越し、高2の夏まで過ごす。演劇部に所属する。

中学での好きな科目が英語と地理。高校は英語科に進学。

高2の途中で関西に戻る。引き続き、英語を頑張る。海外ドラマや映画にどっぷりハマる。

大学に進学する際、本当は英語科や国際科に行きたかったが、人とは違う事もしたくなり、台湾で触れていた中国語を選択。在学中は一年間の中国留学を経験。おかげで台湾在住の際には挨拶程度だった中国語がそれなりに話せる様になる。

大学在学中は親戚のいるフランスに長期滞在したり、卒業旅行ではインドやタイに行ったりした。

新卒として就職

新卒で旅行会社に就職。ツアー制作や集客に携わりながら、添乗も行う。この頃は大学で極めた中国語ができたので、行き先は中国方面ばかりだった。でもたまに他の国に行くと英語が必要で、全く出来ないわけではないが、英語圏で勉強した事がないので、生きた英語が使えない事がコンプレックスだった。また20代前半の小娘には、添乗業務はしんどくて、辞めたくて仕方なかった。

親に3年は頑張らないと、どこでも通用しないと言われ、何とか働き続ける。大学まで行かせてあげたんだから、と。この経験があって良かったと今は思うし、実際に経験が役立つ事も多かったが、本当に辛かったら辞めたら良いと思う。次の仕事なんていくらでもある。

イギリス生活

約束した就職して3年を目前に応募したイギリスのワーホリビザを見事にゲット!(一年千人しかもらえない貴重なビザだ!)ウキウキの渡英!

最初は4ヶ月くらい語学学校に通う!レベルは中上級(Upper Intimidate)からのスタートだった!

少し経ってから前職を活かして、日系の旅行会社でアシスタントの仕事を始める。空港送迎や日帰りツアーの案内などだ。夏の時期は毎日仕事があり、遊ぶ暇もない程だった。フライトに合わせた送迎は早朝や深夜な事も多かった。

内勤の仕事がしたくなり、就活したところ、運良く別の日系旅行社に雇ってもらえる事になった。出張など法人に携わる部署で経験を積む。

イギリスでは語学学校や職場や色んな場所で外国人も日本人も含めて友達がたくさんできたし、毎日の様にパブに行ったり、本当に楽しかった。

2年間のワーホリビザの期限が来て、泣く泣く帰国。会社は就労ビザを取ってくれようとしたが、法律が変わって厳しくなり、下りなかったのだ。

帰国後、再就職

旅行以外の仕事も見てみたかったが、就活の結果、結局ジャンルは違うが旅行会社に就職。

今度は教育旅行を扱う会社で働く。扱うのは中学高校からの海外研修や長期休暇を利用した短期海外研修など。

しかしイギリスから志半ばで帰国した私は海外への思いを断ち切ることはできない。

結局一年で退職し、次なる渡航先を検討する。

オーストラリアでワーホリ

次なる渡航先も英語圏だと決めていた。働かないと厳しいけど、アメリカにはワーホリはないから、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドに絞っていた。イギリスには子どもの頃から憧れていたが、オーストラリアに対してはそんな思いはない。でも年間通して、ほとんど暑くなることのないイギリスの後だから、太陽やビーチがあるオーストラリアがとてま魅力的に感じた。

実際にオーストラリアに行ってみると、私は別にマリンスポーツ好きでもないし、ビーチはたまの休暇に行くからこそ良いのだと思った。紫外線も強くて、ずっと浴び続けるのはよくなさそうだと感じた。

オーストラリアのワーホリは一ヶ所の雇用先で最大6ヶ月しか働く事ができないのだが、イギリスとは違い、日本での経験を活かした旅行会社への就職は叶わなかった。日本人の割合の多いオーストラリアなので人手が足りているのだろう。運良く留学エージェントでのアシスタントの仕事を6ヶ月することができた。他には旅行をしたり、アルバイトをしたり、ファームに滞在したりした。

でもオーストラリアは就職が厳しかったり、日本人が多すぎる事、街と街が離れ過ぎて気軽に近隣への旅行ができないこと、などでやっぱりヨーロッパに行きたい思いが強くなった。何より私はヨーロッパの歴史あふれる街並みや佇まいが好きなのだ。イギリスは無理でもどこかヨーロッパに行こうと思った。

ドイツ生活

オーストラリアから日本には帰国せず、イギリスに住んでいる友だちや元同僚を尋ねた。そこで私の元上司が今はドイツにいて、業務上人を探している可能性が高いと知った。ダメ元で連絡を取ってみると、是非面接を受けに来てほしいとの回答。

オーストラリアからの荷物を持ったまま、ドイツへ行き、無事にイギリス時代と同じ日系旅行会社での仕事をゲットした。

ドイツ語は全くわからなかったので、何度か短期間語学学校に通ったりもしたのだが、割と英語で何とかなった。ドイツ語は大して上達しなかったが、どうしてもの時には友人に助けてもらった。

結局、ドイツで5年弱過ごした。仕事は充実していたし、友だちもたくさんできた。旅行もたくさんしたし、飲むのが好きな私にドイツは合っていた!日本では友人が結婚や出産をしていく中で、私はヨーロッパ生活を大満喫していた。

でもふと、このままずっとドイツにいていいのだろうかと思い始めた。今は元気な両親も、いつまでも元気とは限らない。直ぐには帰れない場所にいて、後悔しないだろうか。

また結婚と出産を希望しているけれど、言葉も大して上達していない国で子育てをして、きっと何とかはなるかもしれないが、そうなると私はここで骨を埋める覚悟ができているのだろうか。

そう思い始めたら、もう帰国の準備が始まっていた。日本で一人暮らしはしたことがなかったので、それも楽しみだったし、日本の美味しいものを食べ、行きたいところもたくさんあるし、海外に行く前みたいにワクワクが止まらなかった。

帰国後、結婚と出産

わくわくしていた日本への帰国計画も実際はコロナ禍で、なかなか大変だった。せっかくだから帰国前に訪れたかった未踏のヨーロッパの地も、訪れず仕舞いだ。(人生はまだまだ長いのだから、チャンスはきっとある!)

帰国後の再就職も少し苦労した。これまで旅行会社中心で働いてきたので、その経験を活かしたかったがコロナ禍で見つかるはずもなかった。でも英語を活かしてインターナショナル保育園で事務として働くことになった。その後の子育てには良い経験になっているので良かったと思う。

そして夫に出会い、とんとん拍子で結婚、出産をし、今に至る。息子は一歳になったばかりで、私も再び働き始めている。

今、子育てや家事に追われる日々の中で、私の過去の体験談を語る機会も活かす機会も多くはない。でも子どもの国際教育や英語教育について考える中で、何か語れば見えてくる事もあるかもしれないと思い、ブログを始めてみました。慣れないことばかりですが、今の息子への教育の事や、過去の体験談や失敗談などを話していければと思っています。息子への教育については現在進行形(というか幼過ぎてまだ始められていない事も多い)ですので、成功談ではないので悪しからず。

それでは、どうぞよろしくお願いします。

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